芸術 駄文

近年、インターネットや、高速通信の可能な第三世代携帯電話の普及による所であろう、音楽を取り巻く環境の変化が著しいように思う。音楽を消費者へ届ける媒体は、レコードや、カセット、CDでは無く、インターネットを介して、楽曲をダウンロードしてデータを保有することが主流になりつつある。
実際にアメリカでは2007年に音楽配信サイトなどからデジタル携帯プレーヤーやパソコンにダウンロードされた曲数は、前年比45パーセント増の8億4420万曲に達しており、CDなどのアルバム販売総数は、15パーセント減の約5億50万枚となっている。変化がより顕著に見られるのは、携帯電話による楽曲提供サービスである「着うた」における現象であり、宇多田ヒカルの「Flavor of love」は、CDセールスでは100万枚前後の売り上げであるのに対して、「着うた」のダウンロード数は700万ダウンロードにまで上っている。このことは明らかに、音楽は“録る”時代から“落とす”時代になったことを証明する出来事だと言っていいだろう。現代においては、多くの人が音楽をデータとして取り扱い、インターネット上には違法ながらも数多くの無料音楽データが氾濫しているのが現状だ。
上記のような変化に伴い、受け手である消費者の音楽との距離感、アーティストのプロモーション方法までが大きな転換期を向かえている。
 一家に一台はパソコンがあり、ネットワーク環境が充実している中で、音楽がデータとして扱われることはごくごく自然な流れだろう。今となってみれば、インターネットでCDを買い、MDなどに録音をして、持ち歩くことのほうが不自然なような気すらしてきてしまう。もともと生活の一部として存在していた音楽を、新たに生活の中に大きな位置を占めるようになったパソコン、データ、インターネットと強く結びつけることによって、より生活と近づけたのは“iPod”の登場が大きく関わっているだろう。“iPod”が他の携帯音楽プレーヤーと違うのは、携帯音楽プレーヤーとして進化したのではなく、パソコンを使ったメディアプレーヤーとして、音楽をインターネットに付加する形で広まったことが生活と音楽を現代にあった形でより強く結びつけたのだ。
インターネットを駆使し、情報を自ら選び取ることができるようになった消費者は、新しいアーティストの発掘作業をラジオやテレビなどのメディアに委ねる事はせずに、オンライン上で不特定多数の消費者からの情報を頼りに自分好みのアーティストを見つけ出すのだ。この様なことは消費者ばかりではなく、アーティストにも言えることで、自己PR能力に長けていれば、自身のファンをインターネットを通じて増やし、一気に全国区の知名度を上げることが可能なのである。SNS(ソーシャルネットワーク)サイトの一つである“My Space”から火がつき、有名になった「たむらぱん」もそのひとりであり、“My Space世代”と呼ばれている自己PR能力に長けているインターネット発信のアーティストが注目を集めている。音楽の発信方法が変わったことにより、当然評価の仕方や、商業材としての見方も変わってきているのではないだろうか。
2007年末イギリスのバンドであるRADIOHEADが新作アルバム「IN/RAINBOW」をインターネットで先行配信を行い、しかも値段を消費者に委ねるという前代未聞の試みを行った。このことは、業界を騒がせた。現役の世界的なアーティストがしたこの行動は、言ってしまえば無料で自分たちの楽曲を提供したことと同じ意味を持つことだからだ。しかし、このことはインターネット時代の音楽の新しいあり方を提案したとともに、上質な音楽の価値が確固たるものであることも同時に証明したのだ。それは、無料で楽曲を先行配信し、世界で120万ダウンロードを超えているにもかかわらず、約二ヵ月後にCDで発売された同作が、見事にイギリスのナショナルチャートで一位を獲得したのだ。
 音楽は、データ化したことによって、より人々の生活に近いものとして進化をしたが、インターネットが生活必需品となり、RADIOHEADのような実験的試みが行われるようにもなった今、その商業的価値の見直しをするべき時期をむかえている。もしかしたら、音楽は今後発信側、受信側の垣根が低くなり、多くの人が共通で楽しむことのできる、お金を必要としない音楽本来の姿に近いものに変わっていくのかもしれない。