逃避している時に回る嗜好の周りの思考

最近どうも音楽を聴く気になれない。大体の原因なんて自分でも解ってるんだけど短期間で解決する方法は無いから、独りでうだうだしてる。それでも一日中部屋の中にいるといけないような気がするから、即席で口実を作って外に出る。電車には乗らないで、自分の家の周りにしかいかない。それでも本だってCDだって家電製品だって食べ物だってそれ以上のものを望まなければ大体手に入るからいい。徒歩15分圏内の小さな世界だけど、気を紛らわすには十分。頭に欲しいものと気になっているもののリスト、カバンには文庫本二冊と財布とiPodをいれて部屋を出る。最寄り駅を通り越してとりあえず遠目のショッピングモールを目指す。本の品揃えは悪いけど、CDはここで買うって決めてるから。本が欲しい時は、駅ビルの本屋か向かい側の本屋で、漫画だったら北口のがいい。電化製品も駅ビルに大手のが入ってる。今日はCDだからショッピングモール。
本を買う時はこんな感じにはならないんだけど、CDをレジに出す時、少しだけど恥ずかしいような気持ちになる。聴いてる音楽って凄く内面を反映しているような気がして、店員さんに「僕はこんな恋愛してます。」とか「見た目こんなだけどこんなかわいらしい音楽が好きなんだよ。」とかわざわざ自己申告してるような錯覚におちいってしまうから。そこを乗り切っても、意外に自己申告な感覚は拭い去れなかったりして、結構下心で音楽を選ぶこともあるような気もする。「ファッションとしての音楽」みたいな感覚で、聴きたい音楽と身に着けたい音楽とのギャップが小さいながらも生じてるんだな。多分。
ずっと聴いてて好きになった音と、ずっと聞こえてて好きだと錯覚しまう音があるのかな。気付いたら自分で選び取っているような気になってる。っていう感じの。