同時代性

「テレビの価値は時代を共有するところにある。」
と言うような事を茂木さんが言っていたけれど、本当にその通りだなぁと思う。
「極端な話、911のような事件を見るためにある。」
とも言っていた。その時代を象徴するような出来事を目撃するためのメディアって言うことでしょう。もちろん、小さいところまで入っていくと芸能人のスキャンダルもその瞬間を象徴する出来事だから、そのためにあると言っても言い過ぎではないのかも知れない。乱暴だけれども。
メディアっていう言葉が、本来どのように使われるために生まれたのかは知らないけれど、位置づけのようなものも変わってきているのかな?
技術を持つ人達だけが発信できるものには、事実プラスアルファが含まれていることが多い。そう思ってしまうような事がチラチラ見えるからそう思う。テレビ局とスポンサーの利害関係に始まり、政治やら思想やら。
インターネットが普及して、個人が発信する側になってもそれは変わらないのだけれど。何処の誰か解らない人が発信する情報を鵜呑みにすることはやはり賢くないしね。匿名性を持っていると多少乱暴な誇張やら、全くのデタラメもある。ソコを選びとる賢さや、検証できる術を持った人たちにはとても使い勝手の良い道具なのだろうけれども。こちら側としてはそれ程に使いこなせていないため、結局はテレビや新聞のような媒体とあまり変わらない。大きな組織が改変した情報を自分が選びとったような気分に浸る道具。それでも、やっぱりマスには敵わない。同時代性を体感するには少しせまい。もっと優しいソフトの存在が必要なのかな、と。まぁ、それがTwitterなんじゃないかと、はじめた理由を考えながら少しだけ書いてました。
Twitterをはじめたキッカケはアメリカのハドソン川の奇跡って言われる飛行機不時着に関するニュースを見たことな気がする。不特定多数の人とつながることで、事前に事件を目撃することが出来るんじゃないかと思ったんだよね。