あえて認識しない

テレビの流行のせいなのかは知らないけれど、ここ最近「深い」という単語を良く目にします。
僕はこの「深い」と言う事が好きではありません。何でもかんでも適当に「深い」と言っておけば良いように思って使っているように見えてしまうからです。何が深いのか何が浅いのかなんて解るわけも無く、解った気になって「深い」と判断してしまうことはとても浅はかに感じるし、自分の中で「深い」と結論づけてしまうことで次の段階に踏み込んだり踏み込まれることを拒否しているのではないでしょうか。対話の余地を与えない断定的なものの言い方には進歩は無いと思うのです。話にオチや締めを求め過ぎるばかりに自分の考えや推測に自信が持てない為に、照れ隠しのために「深いね」などと口走ってしまう、身の回りに綺麗に完結する話など殆ど無いのですから、別にそんなこと言わなくてもいいのです。深くて当然だし、浅い可能性だってある。可能性を全てすっ飛ばしてしまう「ここらへんでもういいや」の「深い」はいらない。別にあなたが言うことを全て真に受けることもないですから、自分の考えたことくらいには自信を持ってください。疑問に思ったり違うと思えば意見は言いますから。